私は自他共に認める「気ィ遣い」だ。学生時代のウェイトレスのアルバイトではその特徴がいい方向に発揮されていたけれど、今となっては、これも良し悪しだなぁと思うことが多い。
私は三姉妹の末っ子なので、世の中的には「甘え上手」だろうと思われる節があるけれど、実際のところ末っ子は甘え下手な人が多い(びび子調べ)。
私もかなりの甘え下手で、昔から親に欲しいものをねだるのが苦手だった。友達に手伝いを頼むのも、同僚に仕事を頼むのも、「申し訳ない」と思う気持ちが先に立ってしまい、「だったら自分でやった方が楽」という結論に落ち着いてしまう。
さんざん遠慮して、空気読んで、存在しない行間まで読んで。そのくせ、人から気を遣われるのは嫌という、なんとも面倒くさい性格。
先日、母と一緒に知人のマダムの家の玄関先まで届け物をしに行ったときのこと。家族ぐるみで仲良くしているマダムで、帰り際に「今ちょうどおぜんざいを作ったんだけど、ちょっと持って帰らない?」と笑顔で提案して下さった。
その瞬間、私の脳内では
- 手作りのおぜんざいって手間かかるんだろうなぁ
- でも何人分作ったんだろう?私たちがもらったら足りなくなるんじゃない?
- 今いる1階の玄関から2階のキッチンにわざわざ上がって、タッパーに入れて、また1階に来てもらうことになるな
- 今日ずっと孫の世話してたって言ってたしお疲れだろうなぁ
というようなことがコンマ5秒ぐらいの間に瞬時に駆け巡る。もうこれは根深く染み付いた私のクセで、反射的に遠慮してしまうのだ。そして、
「え~ そんな、いいですよ~」とお決まりの遠慮ワードを口にしようと口を「え」の形に開いたのとほぼ同時に(むしろ食い気味に)母が
「あら~!いいの?嬉しい!!」
早い。めちゃ早い。ナチュラル・ボーン・ウルトラライトダウンな母は軽やか且つ速やかに人に甘える。
そして私は宙ぶらりんになった「え」の口を閉じながら、「いや待てよ」と思った。ついクセで遠慮しようとしたけれど、これって私が楽になるために言ってるだけだよな、と。
だってそう言われたマダムは明らかに嬉しそうだったし、甘いもの大好きな母は当然ニコニコ。私も嬉しい。これってみんなハッピーなんじゃないか??
もしも私が遠慮していたら「あら、そう?まぁ荷物になるし、今の若い人(注:なんと私のこと)はおぜんざいなんて食べないわよね~」なんて寂しそうに言ってるマダムの顔が目に浮かぶ。
あるいは、「え~ いいじゃない、せっかくだから持っていきなさいよ~!」ともう1ラリーぐらいやりとりしてから「じゃあ…」なんつって結局ホクホクと頂いて帰る私たちの顔。
うん、遠慮しなくてよかった(母が)。
人にとって「貢献する」ということはものすごく大きな喜びで、幸せに直結するそうだ。自分が“誰かのために”何かをしている時、役に立った時、人はものすごく幸せを感じるらしい。
つまり母が遠慮しなかったことで、おぜんざいをもらった私たちだけでなく、私たちに喜びを与えたマダム自身も、幸せになっているのだ。
なんかこんな風に言うと「私たちがマダムを幸せにしてあげた!」みたいな感じですごく差し出がましいようだけど。笑
おぜんざいを頂いた身でそんなことを言いたいわけではもちろんなくて、「遠慮しない方がいいこともある」んだなぁと、しみじみ実感した出来事だった。
帰り道にふと「ねぇ、さっきマダムに遠慮せずに甘えたのって、何か考えがあってのこと?」と母に聞いてみた。
「そうねぇ、自分だったら素直に受け取ってもらえた方が嬉しいじゃない?」
母、さすが…!
「あと、ほんとにおぜんざい食べたかったのよね~ あはは!」
うん、やっぱり母、さすが…!
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