思うこと

料理上手な妻 VS 自己評価できない妻

結婚していた頃、私は料理が好きだった。しょっちゅう自分や夫の友人たちを家に招いては料理とお酒でもてなし、私自身もそれを楽しんでいた。

するといつの間にかまわりの友人たちからは「料理上手」と認識されるようになった。「うちの嫁にも料理教えてやってくれよ」なんて言ってくる夫の友人までいた。

そんな時、当時の夫はまんざらでもない表情で、少なからず“もてなし上手な妻”を誇らしく思っていたようだったし、私もそれを嬉しく思っていた。でも反面、そんな風に褒めてもらう度に、私は何とも言えない心苦しさを感じていた。

「私なんてたいしたことないのに。」

謙遜ではなく、本心からそう言っていた。

そう、私は料理が得意ではなかったのだ。

料理本を読むのが好きだったから、簡単にできるおいしそうなレシピを見つけるのは得意だった。何度もおもてなしを繰り返す内に要領もつかんできたし段取りもうまくなっていたと思う。

でも、私はいつだって準備にはものすごく時間をかけた。そして何より、レシピ通りにしか作らなかった。だから、おいしくできて当然なのだ。

私の中での“料理上手な人”とは、適当に“目分量で作る人”のことだ。
食材の状態や量、食べる人の好みに合わせて、柔軟に、おおらかに、しなやかに。

ではなぜ、私はレシピ通りにしか作らなかったか?いや、作れなかったのか?それは、夫がとても味にうるさかったことに起因する。

私が作った料理が口に合わなかった時に文句を言うわけではない。けど、無言。ひたすら、無言。無言で調味料を取りに行って自分で味を変えることもしばしばあった。

その度に私は「あぁ、おいしくないんだな」と悲しくなったものだった。

夫の無言がこわくなった私は、結果的に、失敗するのがこわくなった。

失敗するのがこわい人間が、目分量で料理できるわけがない。自分のオリジナルレシピを試せるわけがない。だから私はずーっと“料理が下手な人”のままだ。

(もちろんこれは私の中での“料理上手”の定義であって、レシピ見ようが何だろうが口に入れられるものを作った時点で天才!という評価もあるかもしれない。)

今でこそ、私の料理に無言になる人はいない。母は人が作ったものはなんでも「おいしいわ~」と言って食べてくれるし、子どもたちも味覚が心配になるぐらい(きらいな野菜以外は)なんでも食べてくれる。

それでも私はいまだに「これで大丈夫かな?おいしいのかな?」と不安になる。自分の味覚に、自分の評価に、自信が持てないのだ。

人の評価ばかりを気にしていると、自分で評価できなくなるのかもしれない。

それは料理も、自分自身も、同じことだ。

悲しいけれど、それが今の私。

これからは、料理も、自分自身も、

私は私の評価で生きて行く!

そんな決意をしながら、昨日のランチは野菜スープをリメイクして見た目ぐちゃぐちゃなクリームパスタを作った。

目分量で!

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