子育て

自分を責める生き物

以前聞いて、強烈に印象に残っている話があります。

今から60年以上前、森永ヒ素ミルク中毒事件というものがあったそうです。粉ミルクの製造過程で使用される原料に多量のヒ素が含まれていて、多数の被害者を出したというものです。このミルクが原因で死亡した乳幼児はなんと130人、神経障害や臓器障害などの中毒症状が出た被害者は12,000人を超えたといいます。

当時の親御さんの気持ちを考えると胸がつぶれそうになります。どうして我が子がこんな目に…製造メーカーへの怒りは相当なものだったはずです。ところが驚くことに、被害にあった乳幼児の母親たちは、皆一様に、自分を責めたといいます。「私のおっぱいが出なかったから…」「私が他のミルクを選んでいれば…」母親は必ず、自分を責めるのだそうです。

私ももし同じ事件に巻き込まれていたら、やはり自分を責めただろうなと思います。もちろん、過失は製造メーカーにあるのは明白です。それでも、そのミルクを我が子に与えてしまった自分を責め、おっぱいが出なかった自分を呪い、苦しんだことでしょう。想像するだけで涙が出ます。

全く次元が違う話ではありますが…息子(6歳)が最近よくおねしょをします。今までもたまにあったけど、ここ数週間はほぼ毎日続いています。

そんな時やはり私は自分を責めます。「色々と無理をさせてるからストレスになってるのかな…」家から遠い幼稚園に通わせていることもあり、送迎の時間のしわ寄せで生活リズムにはそもそも無理があります。その上、元夫の意向もあり、最近英語のアフタースクールに通わせ始めていました。慣れない環境に言葉の壁…本人なりにかなりしんどい思いをしているようです。

もう一つ気になることがあります。最近ことあるごとに「見て!」と言うんです。これぐらいの子供がよく言うことだとは思うのですが、それにしても多い。枕詞のように「見て!」と全ての会話につきます。会話のはじまりだけでなく途中にも、何度も何度も…「見て!あのねこの恐竜がね、ねぇ見て!ママ見てよ!それでねこれがね、ねぇ見て!あのね、それでね、見て!」…その頻度があまりにも高く、執拗で、本当に気が狂いそうになるほど。「見てるってば!」つい声を荒げてしまうこともあります。

これもやはり自分を責めて心苦しくなります。「最近かまってあげられてないからかな…妹の世話ばかりで寂しい思いをさせてるのかな…」仕事の後、かき集めるように子供たちのお迎えに行き、帰ってからごはんを食べさせ、お風呂に入れ、少しでも早く寝かせなければと、常に時間を気にしている私。たしかに、いつも何かしら手を動かしながら子供たちに接している気がします。

おねしょも「見て!」も、この年齢にはよくあることだとは思うのですが、やっぱり気になるし、原因が自分にあるのでは、自分がいい母親ではないからだと、どうしても自分を責めてしまいます。これは日常の子育ての大部分を母親である私が担っているからでしょうか。育児を分担している家庭では、同じように父親は自分を責めるんでしょうか?それともただの個人の考え方の違い?「出産」が母親をそうさせる?

…答えはわかりません。でも私のまわりのお母さんたちは皆、子育てで悩み、苦しみ、自分を責めているように感じます。「子を育てる」という重圧を、ほんの少しずつでも一緒に背負ってくれる人がいてくれたら、それはものすごい救いになるはず。それは必ずしも夫やパートナーでなくてもいいし、他の家族でも、友達でも、保育園や地域の人でもいい。「自分以外の人が子供を見守ってくれている」という事実が、(たとえ自分を責めるのは変わらないとしても)母親をどれだけ楽にしてくれるか…実感としてそう思うのです。

拾ってくれた神様~離婚協議中の保活~前のページ

時間の余裕と心の余裕次のページ

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

カレンダー

2025年1月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

最近の記事

PAGE TOP