子育て

息子が、娘を、蹴った。

昨晩、6歳の息子が、2歳の娘の背中を蹴りとばした。

キレイに並べていたおもちゃをぐちゃぐちゃにされて、「やめてぇぇぇぇぇぇ!!!」とものすごい大声で叫んだ次の瞬間、目の前にあった妹の背中に足をどん!と振り下ろした。

咄嗟のことに近くで見ていた私も母も「あっ」と小さな声を出すことしかできなかった。

男兄弟がいる家庭では当たり前の光景なのかもしれない。息子は今までも手で娘をグググっと押しのけるようなことはしょっちゅうあった。でも、明確に攻撃したのは初めてだった。

意外にも優しい兄だなぁと思っていたけれど、今思えばすごく我慢していたのだ。

息子が娘を蹴ったその時、私は怒ったり叱ったりという感情ではなく、ものすごく悲しくなった。なぜだろうと考えてみたら、たぶん、息子の気持ちがすごくよくわかったからだ。

発作的に妹を殴ったり蹴ったりしたくなる衝動は、私自身が子供たちに、特に幼い頃の息子に、感じていたものと同じだ。妹の背中に足を振り下ろした息子を見て、あの頃の自分を思い出し、いたたまれなくなった。

当時の私は専業主婦で、息子は3歳になるまで保育園にも行かずに、日中はずっと私と2人きりで過ごしていた。イヤイヤ期の頃の息子は言葉の発達が遅かったことも手伝って、もう本当に手がつけられない程の荒くれ者だった。

ずっと2人きりでいると疲れる、息が詰まる。でも出かけようとしてもまず服を着替えたくない息子と格闘しなければならず、なんとか家を出てもベビーカーに乗りたくない、あっちに行きたくない、電車に乗りたくない、何もかもが気に入らなくて道行く人が皆振り返る程のギャン泣き。奇跡的に目的地に着いたとしても、息子は近づいてくる小さい子供を片っ端から突き飛ばし、引っかき、おもちゃで殴りつけた。

申し訳なさと情けなさでぐちゃぐちゃになり、ずっと謝り続けることに疲れ、息子とまわりの子供を比べて落ち込み、結局、私は外に出なくなった。

そんな閉鎖的な毎日を息子と2人きりで過ごしていたせいで、私はいつもイライラしていた。実際に手が出てしまったこともあった。かろうじて殴るのを堪え、近くの物を投げて壊してしまったこともよくあった。息子が言葉がまだよくわからない年齢だったのをいいことに、ここには書けないような口汚い言葉でののしり、気が狂ったようにヒステリックな声を出して罵倒したこともあった。

私の最初の子育ては、思い出すと涙が出てくる程、悲惨だ。

今でもそんな衝動はしょっちゅうある。言うことを聞かない子どもたち、理不尽なことばかり要求してくる子どもたちに対してイライラが募って、思わずカッとなる。

でも、今はほとんど手を上げたり物を投げることはない。なぜかというと、母がいるからだ。

鬼夜叉のような顔で声を荒げて子どもたちを叱ることはもちろん今でもよくある。むしろ母といる時の方がイライラを前面に出してよく叱っている気もするけど、それってつまり、イライラを“出せている”、ということなんだと思う。

一人だとかえってそれができないのだ。昔みたいに手が出てしまうのが怖くて。そして母なら、私がイライラ怒鳴ってばかりいるわけじゃないことを知ってくれている。私が弱いことも、子どもたちのことを愛していることも、いろんな葛藤があることも、それと向き合って悪戦苦闘していることも全部知っていて、それでいいと思ってくれている。だから、イライラを出せる。

息子が娘を蹴った時のことに話を戻すと、すごくありがたかったのは、母が娘のケアをしてくれたおかげで私は息子のケアに専念できたこと。

(ちなみに娘は超がつくおばあちゃん子なので、大ママ(母のこと)に慰めてもらえてどれだけ心が癒されたことだろうと思う。その癒しパワーは母である私も全く敵わない、悔しいけど。)

「ずっと我慢してたんだもんね、そりゃ怒りたくなるよね。でも、ぶったり蹴ったりしちゃダメだよ。言葉で伝えようね。」月並みな言葉しか出てこなかったけれど、少なくとも抱きしめてあげることはできた。

一人だったら事態を収拾できずに泣き叫ぶ娘を抱き上げて息子をただ叱ることしかできなかったかもしれない。そして昔の私だったら、と思うともっと怖くなる。

シングルマザーは危険だ。その環境が危険だ。一人きりでする子育てなんて、母親が追い詰められないわけがない。だって子どもはかわいいけど、それ以上に厄介で、理不尽で、ムカつく生き物だから。

元シングルマザーの同僚が、昔子どもの夜泣きが激しかった時、わざとマンションロビーに連れ出てあやしていたそうだ。そこには、守衛さんがいたから。守衛さんは何をしてくれるわけでもなかったのかもしれないけど、彼女はそうやって子供と2人きりにならずに済んだ。「このままだと、まずい。」そう本能的に感じた彼女は本当に賢明な判断をしたと思う。

親でも友達でも守衛さんでも誰でもいいから、助けを求められるように。なんにもない日常の中でこそ、助けを求めていいんだ。そういう意識と仕組みを広げるためには、何をしたらいいんだろう?夜明けにぼんやり考えていたら、隣で娘が夜泣きをはじめた。目が覚めてしまったらしい母が、「代わるわよ」と部屋から連れ出してくれた。本当に、ありがたい。


今回はじめて“ですます調”じゃない書き方をしてみたけれど、また前みたいに戻るかもしれないしこのままかもしれません。ブログも人生も、試行錯誤です。笑

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