家族のこと

トラ子さんの血筋

前回の投稿で書いた、母のこと。

私のまわりにも離婚した友達はけっこういる。今の時代、決して珍しいことではない。でも母の世代には“離婚は恥”の文化が今よりずっと根強いはずだし、

「離婚なんてとんでもない」
「子どもたちがかわいそう」
「将来どうやって生活して行くの」

と、当の本人が一番不安に思っていることを言葉にして追い詰めてくる母親も少なくないと思う。

私の母は自分自身が離婚経験者であることも大きいと思うけど、それでも出戻ってきた娘と孫2人を引き取り、「大丈夫!なんとかなる!!」と背中を押して(むしろ蹴り飛ばして)くる母のたくましさは、並大抵ではない。

でも、心のどこかで納得もしている。なぜなら、母方の祖母もまた、強烈に強い人だったから。

母の母、つまり私のおばあちゃんは、関西弁でよくしゃべり、派手な服を好み、とにかくお酒をよく飲んだ。豪快、豪傑…祖母を形容する言葉は男勝りなものが多い。寅年生まれの、通称「トラ子さん」。

そんな祖母の元で育った私の母は、若くに結婚し、世間を知らないまま専業主婦となり、40歳の時に夫(私の父)が破産して3人の娘を抱えたまま突然世の中に放り出された。

祖母にしたら遠く離れた東京にお嫁にやったかわいい一人娘が突然苦労することになって、どれだけ心配したか…と思いきや、少なくとも母や私たちには1ミリもそんなそぶりは見せなかった。

経済的な後ろ盾はもちろん、祖父母が動じずどっしりと構えてくれたことが、母にとってどれだけ心強かったか、今の私にはしみじみと分かる。

当初 母はうつ状態になり、身体も弱って頬は痩せこけ、まともに立てない状態で実家に帰った。当時私は10歳だったけれど、幼ながらに「私たちこれからどうなるんだろう…」と不安に思っていたことを思い出す。

そんなミイラのようなゾンビのような状態で寝込んでいる母を、祖母は凛として励まし続けたという。何ヶ月かしてなんとか動けるようになった母は、私たちを連れて東京に戻った。

もちろん祖母だって、本当は自分の娘が心配で、辛かったんだろうと思う。まだまだ精神的に不安定な母を再び東京に送り出した時の祖母の気持ちを思うと、胸が締め付けられる。

だけれども祖母は、母を追い詰めるような泣き言は一切言わなかった。そして、遠くから娘の身をを案じて涙するのではなく、「自分ができるサポートを」と毎週末クール宅急便で食事を送ってくれたのだ。

この通称「トラ子便」に母はどれだけ助けられたことだろうと思う。トラ子便の中身は牛肉の味噌漬けやかぼちゃの天ぷらなんかが定番だったが、祖母は台所の鍋の前に椅子を置いて「天ぷら揚げながらビールをくいっと飲むのが最高なんよ~」とよく言っていた。

全部ひっくるめて、愛だなぁ、と思う。トラ子便に入っていたのは美味しいおかずだけじゃなかったんだなぁ、と思う。

そして母が離婚を決めた時のトラ子さん語録もまたすごい。祖父が私たち孫娘の結婚に影響しないかと心配した時にぴしゃりと言い放ったひと言。

「そんなことをとやかく言うような人には、もろてもらわんでよろしい!!」

トラ子さん…しびれる…

そんなトラ子さんの血を受け継いでいる母なので、今回の私の離婚に対する対応も、「色々と納得」なのだ。笑 私が家に出戻ったことで散々迷惑をかけているけれど、きっと母は私の笑顔を見て喜んでくれているはず。

この先もまだまだ色んなことが起きるだろうけれど、きっと大丈夫。なぜなら私たちは、トラ子さんの血を引いているから!

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