私が幼かった頃の母はとても優しくて、娘に甘かった。というより別の言い方をすると、とても弱かったのかなと思う。
たとえば娘がいじめられて帰ってきたとしたら、「かわいそうに…」と一緒にめそめそ泣いてしまうようなタイプの母親だった。
父が破産して、私たち娘3人を抱えて突然世の中に放り出された母にとって、今まで当たり前のように娘たちにしてあげてきたことができなくなってしまったことは、とても辛いことだったのだと思う。
今となっては笑えるエピソードだけど、ある日、林間学校に出発する朝、大きなリュックを背負って駅まで歩いて行く私(当時小学5年生)の後ろ姿を見て、「車で送ってあげられないなんてかわいそうに…」と涙を流したそうだ。
うん、衝撃の甘さ。
でも世間を全く知らなかった母は、そこから死に物狂いで仕事して、失敗し、恥をかき、傷付き、大いに鍛えられて成長した。
そして気がついたらいつの間にか、超強くなっていた。
今でもよく覚えているのが、私が学校で嫌なことや辛いことがあった時、母に相談すると必ず最後に
「いいわね~鍛えられてるわね~」
とニヤニヤしてきたこと。
思春期真っ只中の悩める乙女(私)としては「なにそれ!」である。
こっちはこの状況が辛くて仕方ないのに。どうにか抜け出したいのに。鍛えられてるとか知らないし!どうにかしてくれよ!
当時はそんな気持ちで母の言葉を受け止めていた。
でも、今ならすごく分かる。そういった人間関係の悩みや辛い経験を通して、人は成長するのだ。
それを娘にとって素晴らしい“成長のチャンス”として喜べる母は、親として正しい。そして強いな、と思う。
私は、と言うと…今でも辛いものは辛いし、できることなら避けて通りたいし、ましてやそれが自分の子どもたちの身に降りかかると思うと、“成長のチャンス”と頭では分かっていても、全力で守ってやりたくなってしまう。辛い思いは、させたくない。
まだまだ、親として鍛えられ方が足りない。
これが筋トレなら、私はむっちむちのぷよぷよボディ。そして母はすでにボディビルダーぐらいマッチョじゃなかろうかと思う。
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