産後2週間で病院に担ぎ込まれた私の入院生活は、文字通り、まるで地獄のようでした。
生まれたばかりの娘と会えない辛さ、不甲斐なさ…おっぱいをあげられずパンパンに張った胸の痛みを堪えながら、病院のベッドで毎晩一人で泣いていました。
そしてある意味、一番きつかったのは、夫の冷徹な態度がこれっぽっちも変わらなかったことです。どこかで「出産したら何か変わるかも」と期待していたのかもしれません。子供が生まれ、さらに病気で倒れても尚、こんなにも冷たい態度を取れる夫に、心底絶望していました。
そんな中、主治医の先生にかけられた言葉で忘れられないひと言があります。
その先生は、まだ30代前半とのことでしたがとても落ち着いていて、あまり表情が変わらない、一見無愛想にも見える男の先生でした。でもその言葉や行動は実は思いやりに溢れていて、どんなに忙しくてもじっくりと患者さんの気持ちに寄り添ってくれる、そんな先生でした。
病状の説明をするために一度家族を集めて話をすることになった時も、その前夜にわざわざ病室に来て、事前に私にだけゆっくりと説明をしてくれました。「患者さんの気持ちが置いてきぼりになってしまうことがあるから」と…。実際、この頃の私は夫に面と向かってまともに意見を言うこともできない状態でした。そんないびつな関係もどこかで感じ取った上での配慮だったのかもしれません。
先生は私にも分かるようにゆっくりと、今までの病気の経緯を話してくれました。そして、病状はかなり回復しているものの、退院後もずっと薬を飲み続けなければいけないということを話してくれました。今までの人生で大きな病気や怪我など一切せずに健康そのものだった私にとって「一生薬に頼って生きていく」という事実はあまりに衝撃的でした。そして、ショックを受けている私に対して、先生がしんみりと言いました。
「でもね、ビビ子さん。治療ができるって、すばらしいことなんですよ。」
正直、言われたその時はショックの方が大きくてあまりピンときていませんでした。ですが退院して元気に毎日を過ごせている今、この先生の言葉がものすごく心に響いています。 おそらく、たくさんの患者さんたちと向き合われてきた先生だからこそ言える言葉なのだと思います。どんなに生きたくても生きられない人、治療したくても身体が不自由なままの人、そんな人たちが薬で健康でいられるなら、きっと何錠だって飲むでしょう。
治療ができることは当たり前ではない…そのありがたさを教えてくれた先生のひと言のおかげで、毎日の薬はもちろんのこと、病気に対する向き合い方が変わりました。
当たり前のようなひと言で、見えてくる景色は全く変わってきます。私が今あらゆることに感謝できるようになったのも、先生のこのひと言がきっかけのように思います。
治療ができること、子供たちを抱きしめられること、未来に希望がもてること。全てが、本当にありがたいと思うのです。
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