「元気な子どもたちと一日中家で一緒に過ごす」ということに対する私自身の覚悟が決まらない内に、社長が在宅勤務をスパッと決断してくれたおかげで(笑)、心の準備も、物理的な準備も、何も用意できないまま、子どもたちとの自粛生活に突入した。
初日はもう、散々だった。最低限の仕事やリモート会議をこなすために子どもたちはテレビ漬け(極限までテレビを見続けると子どもも飽きるということを知った)、それでも「たいくつ」「つまんない」「レゴが欲しい」と不満や要求しかしてこない子どもたちに対してイライラを爆発させてしまった(どさくさに紛れてレゴねだってるし)。
基本的に外には出られないのに、子どもたちの暇を紛らわせるグッズも何も仕込んでいないなんて、丸腰で戦場に出向くようなものだ。今後も続くであろう籠城生活のために慌てて本やらおもちゃやらをネットで注文した。
何が辛いって、この状況が一体いつまでつづくのかわからない、ということ。
同じ引き籠るでも、雨の日曜日とは全く違う。今日を一日こなせば明日は普通の生活ができる、というわけではないのだ。
怒鳴って泣いて喚いて取り乱してを繰り返しながらふと、自分の中の嫌な変化に気づいた。
それは人を批判したり、攻撃したりしやすくなっている、ということ。
独身の友人がSNSで「リモートワークしんどい、仕事増えたし辛い」と愚痴っているのを目にすれば、「自分のペースで仕事できるんだから文句言うなよ」と攻撃的な気持ちになったし、
今でも保育園に通わせている母親に対しては「この期に及んで危機感なさすぎる、信じられない」と責める気持ちになった。
ついこの間まで、私も同じ立場だったのに。私自身、責められるような言葉を向けられて追い詰められたことがあるのに。人は簡単に、「そちら側」に行ってしまう。
みんなそれぞれ事情があるし、危機感に温度差もある。それは仕方のないこと。
それなのに、「私はこんなに我慢してるのに」という気持ちがベースにあると、人のどんな状況を見ても妬んで攻撃してしまう。
気をつけよう。
敵はコロナか、世間の目か。それとも、自分自身の価値観か。
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