最近、“心理的安全性”という言葉を知った。
もともとは「サイコロジカル・セーフティ(psychological safety)」を日本語に訳した心理学用語で、米Google社が自社の生産性向上のために調査する過程で再発見した言葉だそう。
心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。心理的安全性の高いチームのメンバーは、他のメンバーに対してリスクを取ることに不安を感じていません。自分の過ちを認めたり、質問をしたり、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地があります。
Google re:Work – ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知るhttps://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/steps/introduction/
単に仲が良くて冗談が言い合える雰囲気のチーム、ということではない。また、「どんな発言も否定してはならない」とルールで縛るということとも違う。「どんな意見を言ってもこの人なら大丈夫、きちんと受け止めてくれる」と“お互いに”思っている状態だ。会社のチームでこれを実現するのはおそらくとても難しいことだと思う。
だけど、調べれば調べるほど、これはまさに、今私が勤めている会社そのものだ。
私は離婚を決めた時に母が勤めていた会社に拾ってもらった。元を辿ると、母もまた、自分自身が離婚して娘3人を抱えて世の中に放り出された約30年前、学生時代の同級生だった専務に拾ってもらったのだ。
母が娘を雇うことを社長に直訴したとき、事情を知っていた社長はその場で快諾してくれたのだと、後から聞かされた。ありがたくて涙が出た。
うちの会社は少数精鋭で、それ故に社長の考えや思い、方針を社員全員が共有している。私の離婚がまだ成立する前、自信も気力も自己肯定感もなくじっとりと辛気臭い不幸顔をした私を、社員全員が、そのまま、まるごと受け入れてくれた。そしてまるごと、認めてくれた。
そのおかげで、今の元気な私がいる。
なんとなく「居心地がいい」とか「いい人しかいない」とか、そんな言葉じゃ伝えきれなかったこの会社の美点は、世界のGoogle的に言えば「心理的安全性が高い」ということだったのだろう。
そして、今思い返せば、私の元夫に対する気持ちはこの真逆だった。世界のGoogle的に言うところの「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、この人なら大丈夫だと信じられる」ことはなかったし、「自分の過ちを認めたり、質問をしたり、新しいアイデアを披露したりしても、自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地」などまるでなかったのだ。
私は常に夫からどう思われるか、どう評価されるかを気にしていたし、常に夫から認められていないと感じていた。そして実際に、夫は私のことを「生き方が違う」「尊敬できない」と、全く認めていなかった。
そんなチームに、いい仕事、つまり「健全な子育て」や「温かい家庭を築く」なんてできるはずがないのだ。
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「何を言っても相手が自分を受け入れてくれると信じられる」
「絶対に否定されないと信じられる」
本来なら家庭よりも会社の方が実現することが難しいであろうこの環境が、うちの会社にはある。
ちなみに社長がよく言う言葉は「失敗の数を競え」。たくさん挑戦して、たくさん失敗して、それを皆に共有しろと。それが自分にとっても、会社にとっても、間違いなく、成長に繋がるから。
うちの会社は、心理的安全性が高い。べらぼうに、高い。これがどれだけすごいことか、どれだけありがたいことか。私は身に沁みて知っている。
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