私は決めることがとても苦手です。
でもいわゆる“優柔不断”の代表例なんかで言われるやつ、たとえば自分が着る服や自分が食べる物、自分の買い物なんかはわりとパッと決められます。
ただ、そこに「誰か」が関わってくると一気に決められなくなってくる。誰かと一緒に食べる物、誰かと一緒に出かける場所、誰かが使うための買い物…そうなると「相手がどう思うか」という部分に捕らわれて、何も決められなくなるのです。
きっとこういう方はけっこういるんじゃないかなと思います。特に人に気を遣い過ぎる人とか…。ただ、私はかなりそれをこじらせてしまいました。なぜなら、“ずっと夫に決めてもらっていたから”です。
たとえば、レストランに行って夫と取り分ける料理を選ぶ時。たとえば、夫の運転の隣に座ってナビをする時に渋滞を回避するために抜け道を探す時。旅行の行き先、泊まるホテル、宿泊プラン。私がよかれと思って選ぶものが、結果的にうまく行かなかったり夫の意に沿わないことがよくありました。
そんな時、夫は怒鳴るわけでも責め立てるわけでもありません。でももちろんフォローしてくれるわけでも慰めてくれるわけでもありません。ただ、無言なだけ。そうすると、「ああ、私が決めなければよかった」という自己嫌悪だけが残ります。
一方で、夫はものすごく自分に自信があるタイプで、なんでもパシッと決められる人でした。大抵のことはうまく行くし、(今思えばうまく行かないこともまぁまぁあったけど)少なくとも申し訳なさそうな素振りを見せずに堂々としているから、“失敗”の印象が残らないんです。
こうして私は少しずつ、「自分で決める」ということを放棄していきました。ありとあらゆる選択を夫に委ねることで、「自己嫌悪になる」ことや「夫から責められる」こと、「文句を言われる」ことから逃げ出す術を身につけたのです。
そして、その習性をますます悪い方向に助長したのが、仕事を辞めて夫の転勤に付いて行ったことだと思います。それ自体が悪いわけでも後悔しているわけでもありません。が、私の場合は、仕事を辞めたことが結果的に自信を失う要因になったし、転勤に付いて行ったことで「○○の妻」としてしか人と関わらなくなり、様々なことを夫に委ねるベースを作ってしまったように思うのです。
これってものすごく怖いことです。最初はレストランの料理の話だったかもしれないけど、積み重なった習性は人生をも左右します。
離婚を決める時、あらゆるサポートを買って出てくれた母に繰り返し言われたことがあります。「最後は自分で決めなさい」と。
人に「決められた、決められてしまった」という思いを抱いて歩んでいく人生は決して幸せにはなれない。「自分で決めた」という覚悟をもつことがものすごく大事なんだそうです。
私は今でも「決める」ことに関してはまだまだ修行中です。まずは、信頼できる人に意見を聞く。でも、最後は強い意志をもって「自分で決めた」という覚悟をもつ。誰かに判断を委ねてしまいたくなることはたくさんあるけれど、逃げずに向き合おうと思っています。
「自分の人生の経営者は、自分。」
最近胸に響いた言葉です!(^ ^)
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