思うこと

整形したかった私へ

昨夜、何気なくテレビを見ていたら、整形した人たちが集まって話しをしている番組があったので思わず手を止めた。

交通事故の傷跡を子どもの友達に悪気なく「腐ってる」と言われ、「こんな母親だといつか子どもがイヤな思いをするかもしれない」という思いから手術に踏み切った母親。

エラが張っていることを親に「顔がぺヤングみたい」と言われ傷付き、メスを使わない整形手術を繰り返している元アイドルの女性。

理由は様々だけれど、みんな悩み、傷付き、絶望して、「変わりたい」と一歩を踏み出した人だ。

整形手術には賛否両論あるけれど、私は別にいいんじゃないかなと思う。

かく言う私も、けっこう本気で、整形したいと思っていた一人だから。

昔から自分の顔にも体型にもコンプレックスはあったけど、でも今思えば20代の私はなんて自信に満ち溢れていたんだろうと思う。

「もっとここがこうだったらな」なんて人並みに悩みはありつつも、当時はなんだかんだ自分の顔が気に入っていたし、メイクも楽しんでた。幸せなことに私の顔を「かわいい」と言ってくれる友達もまわりにいてくれた。

私がどんどん自分の容姿を嫌いになっていったのは子どもを産んでからだと思う。産後太りもあったし、自分の身なりに時間も手間もかけていられなくなったことも原因の一つ。でもそれだけじゃなかった気がする。

“自分の顔が嫌い”というよりも、自分に全く自信が持てなくて、“自分そのもの”を好きになれなかったんだろうなと、今では思う。

特に2人目の子どもの妊娠中がひどかった。なんとなく「整形したいな」と思っていたのもこの頃だ。

夫との関係に悩むしかできなくて、何をどうしたらいいのか分からないまま、頭の中がとっ散らかって「整形したら何か変わるかも」という発想になっていった気がする。

我ながら、とっ散らかりすぎである。「んなわけあるかい!」

ちなみに、私が特に気になっていたのは小鼻。鼻も低いしだんごっぱなだけど、それよりも何よりも私はとにかく鼻の穴がでかい。鼻の頭の隣にある2つのブラックホールがかなりの存在感を放っている。

メスを使わない、注射で小鼻を縮小する手術とか、ダウンタイムが少なくて済む、いずれ体内に吸収される糸で縫いつける手術とか。最初は面白半分で調べていたけれど、最終的には自宅の近くの病院の診察日も調べて、いつだったらまわりにバレずにできるかな、とまで考えたりもした。

人って思い詰めると斜め上の方向に思考がいってしまうものなんだな。私の鼻の穴が数ミリ小さくなったからって、夫が私を認めて大切にしてくれるわけでも、関係が修復されるわけでもないのに。

夫が私に対して不満を抱いていたのはもちろん鼻の穴のことなんかじゃない。むしろ私の容姿になんてこれっぽっちも興味もっていなかったのに。

大事なのは、自分が自分を好きでいられること。私は自分を好きになれない要因から目を逸らしてとんちんかんなところにこじつけたけど、向き合うべきは鼻の穴じゃなくて夫と自分自身だったんだ。

私は離婚して、仕事を始めて、夫に否定され続けた自分を少しずつ受け入れて、好きになろうとしている。まだまだ道半ばだけど、きっといつか自分をちゃんと好きになって、自信を取り戻せる気がしている。もう今は、鼻の穴なんかに目はいかない。

テレビに映る彼女たちは、人の手を借りて自分の容姿を好きになって、自信を手に入れた。それでいいじゃないか、と思う。

相変わらず私のブラックホールは自己主張が強いけれど、シミとかシワとか太ってきたとか、お年頃の悩みも出てきているけれど。それもまた、いいじゃないか、と思っている。

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