離婚した時に決めたことの一つに、「子どもたちと元夫が会う機会を制限しない」というのがあった。
これは向こうから出された条件ではなく、私が決めたこと(まぁ制限しようとしても向こうは黙ってなかったと思うけど)。それは、私の母(同じくバツイチ)がそうだったから。私や姉たちが父と会うことについてとやかく言ったことは一度もなかった。
まぁそんなわけで、明確に決めていたわけじゃないけれども、基本的には毎週末、土日のどちらかは元夫が子どもたちと過ごす日、というペースが暗黙のうちに出来上がっていた。
私にとって週1回のフリータイムは正直ありがたかった。
美容院や歯医者にも行きたかったし、友達と飲みにも行きたかった。ゆっくりお風呂に入ったり本を読んだり、とにかく自分一人の時間を持ちたかった。
私は元夫と子どもたちの面会日に、それらの予定をぶち込んだ。普段残業できない分、休日出勤して会社に行くこともあったけれど、それすらも私にとっては”やりたいこと”だった。
もちろん一緒に暮らす母を頼ることもある。けれども、元夫に子どもたちを預けることは、母(私の上司でもあるめちゃめちゃ忙しい定年無しのワーキングばぁちゃん)に子どもたちを託すより、気が楽だった。
なぜならあくまでそれは”面会日”であって、私は元夫に子どもたちを”会わせてやってる”から。
やりたいことをやる時間を確保できて、結果それにどんなに助けられても、私は常にその上からのスタンスを崩したくなかった。
元夫がちょっとでも「用事あるなら子どもたちと会うのこの日にしようか?」と私の予定に合わせて”あげる”ような発言(ちなみに元夫に他意はない)をしようものなら、
「いや別に無理はしなくて結構です」と、“こっちはそれをアテにしてるわけじゃないですし私は一人で子どもたちの面倒を見るのは決して苦ではありません、あくまであなたが会いたいなら会っていいですよ”という雰囲気を全力で出す。
必死の保護者マウント。
そんな中、新型コロナウィルス感染拡大により、我が家も自粛生活に突入した。
常に子どもたちが家にいる日々。理解ある会社のおかげで私は在宅勤務をさせてもらっているが、そんなの名ばかりで実際はほとんど仕事にならない。
そこで意を決して、元夫と義母に協力を要請することにした。特に義母はとても協力的で、「みんなで乗り越えましょう」と、孫たちの世話を快く引き受けてくれた。
こうして週末の面会日に加え、毎週木曜にも子どもを預けることになった。
週2回のフリータイム。仕事できない後ろめたさで胃がキリキリしていた私は、その2日を仕事の時間に当てることでなんとか心の均衡を保つことができている。
こうなると、もう、ありがたいと言わざるを得ない。
が、どうにもこうにも素直になれない。
元夫も仕事は忙しいだろうけど、あんなに親権を主張していた子どもたちとの「面会日」が増えたのだから、それはあなたも望むところでしょう、と。
義母のサポートは間違いなく心強いけれども、それはあなたの息子が一人で子どもたちの面倒を見切れないから勝手に頼っているわけで、それはそちらの事情でしょう、と。
「ありがたい」という気持ちと、「父親なら当たり前だろ」の気持ちを行ったり来たり。
そして、自分でも薄々気付いてること。それは、こんなにも「ありがとう」をこじらせているのはたぶん、元夫が”いい父親”だから、ということ。
子どもたちを迎えに来ると笑顔で抱きしめる。相撲をとったり、抱き抱えて振り回したり、全力ではしゃぐ。子どもたちとの会話を楽しみ、子どもたちが描いた絵や作った工作を全力で褒める。
そんな姿を横目で見ながら、私はバタバタと子どもたちの着替えや荷物をまとめ、渋い気持ちで送り出す。
私だってたまにしか会わないなら全力で遊んでやれる。家事をしなくていいなら子どもたちときちんと向き合える。褒めてやれる。私だって、私だって、私だって、、
元夫が子どもたちと楽しそうに触れ合っているのを見ると、どうにも自分が損な役回りを押し付けられたように感じてしまう。私が必死に守った親権ってなんなんだっけ、という虚しさがこみ上げてくる。
あーーーーーやだやだやだやだ!
元夫に感謝できないことより、子どもたちが楽しんでいることを喜べない自分にがっかりする。
そんな嫌な気持ちに支配されたくないから、無理やりにでも言葉にしてみる。
「いやーありがてぇ!!!がはは!!!!!」
この記事へのコメントはありません。